泉里農園ブログ12,29号(No.33)配信いたしました!(^-^)よろしくお願いいたします。

 

 


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☀泉里農園ブログ🌻19.12,29号🍓
🍏🌽🍅🍉🍈🌰🌿🌾🌳🥜(毎月、最低1回発行)  No.33


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↑『自然に生えて野生化した選りすぐりの?なばなと大根』

種を撒いたなばなや大根よりなんか強さがあるかんじです。
富士宮農場)

 

         🍅🌾🌳☀農園便り🌱🍎🌽🌱

『2019年を振り返る』
2019年も残すところ3日となりましたが、 今年の泉里農園は畑はどうだったのでしょうか? 振り返ってみましょう!


いろいろありましたが、印象的なのはやはり異常な気象でしたね! 雨が多く、気温が高い日が多く、 やはり農作物への悪影響が出ました。


気温が高いことでの悪影響の1つは、 害虫の発生が多く長引くことです。この害虫、 これまで台風が襲ったあと大発生するバターンが何度かありました 。


今年はあのモーレツ台風19号です。 この台風が去ったあとやはり害虫が異常発生しました。
やられる作物は、アブラナ科作物がほとんどです。


大自然力農法の害虫対策法は、 あえて設置している自然放任部に住みつく、 害虫の攻撃ための農作物の味方である天敵生物部隊たちを育成する こと、そして種と土にこだわり、農作物自体の生命力を高めて、 病害虫の攻撃がきても負けない力を備えることです。


ところが、強い台風が来ると、これはあくまで推測ですが、 外から害虫がやってくると同時に農園内で育成された天敵生物部隊 は、台風に吹き飛ばされてしまい、 害虫は天敵生物部隊が少ないすきに、 我が物で野菜に襲いかかることになります。


そして台風は暴風や豪雨で農作物の葉や茎を傷つけるので、 農作物はこれによって生命力が弱まります。 すると害虫はますます攻撃しやすくなるのです。


また、アブラナ科作物は高温に弱く、苦手です。 台風の巨大化イコール異常高温なので、 台風による傷以外に高温による生命力の低下も加わり害虫にやられ てしまうことになります。


今年被害が多かった作物は、 これを裏付けるようにアブラナ科作物が断トツ1位でした。
アブラナ科作物とは、大根、キャベツ、小松菜、かぶ、水菜、 チンゲン菜、白菜、ラディッシュブロッコリー、カリフラワー、 などです。


今後、温暖化がより進めば、 無農薬でのアブラナ科作物の栽培はより困難となるはずです。


一方、 こんな異常気象でもこれまでで史上最高の収穫となったのが、 カボチャでした。
昨年も史上最高でしたが、今年はそれを更新しました。 株本から20mほどつるを伸ばして、 一株平均大小合わせて10ケ近く実をつけたのです。 これは驚異的?かもしれませんね!(丿 ̄ο ̄)丿


温暖化によって被害となる作物、 逆に恩恵を受ける作物があることを体験いたしました。


次年は、旧年のデータを反映させて、作付け計画を立てますが、 2020年春の種まきではアブラナ科作物は、今年より減らして、 暑さに強い作物を選定することになります。

 


さて本年も当園の農作物をご利用いただき、 誠にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。


皆様のご多幸をお祈り致します。
それでは良いお年を❗(^.^)ノ

 

 

 

 

 


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✦✦今、収穫してます!✦✦
            収穫情報


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(2019.12.29現在)

 

 


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↑『こちらは人参と自然に生えたのらぼう菜』

野生化できるパワーのある作物こそ、大自然力農法の主力作物です。
富士宮農場)

 


🌟以下の農作物は農薬、化学肥料、人畜糞尿、 ビニールマルチを一切使わない、 自然露地栽培の大自然力農法により栽培されています。


🌟★印は自家種100%です。★50は自家種50%です。 表示ないものは全て在来種(子孫継承がほぼ100%できる種) 伝統種の野菜です。


🌟(少)の表示は、収穫量が少ない、 あるいは少なくなってきた場合です。 なのでご注文に応じられないことがあります。

 

 


🌿《葉物野菜》
★小松菜


★ケール


パクチー


九条ネギ


根深


★高菜


★静岡京菜


ほうれん草


白菜

 


🥔《根菜、イモ類》


本紅赤かぶ


ゆるぎ赤かぶ


新ショウガ


京大根


ゴボウ


★人参


★里芋


★海老芋


★竹の子芋


★八つ頭


★秋の新じゃがいも(出島)


★秋の新じゃがいも(アンデス赤)

 


🌽《果菜、その他》


★大豆


🌱《この先1ヶ月以内に新しくでてきそうな作物》


大和芋、なばな(葉)、キンカン

 


😯✦大自然力農法って何?✦🌟


           その33

(当園が実践する大自然力農法について解説いたします。)

 


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↑  『生えそろった麦類』

大麦、小麦、ライ麦を撒きました。

(南部農場)                                               

 


(前号からの続き)


さて、
最後に大自然力農法の誕生までのストーリー、 及び同農法実践農場、 泉里農園の生い立ちを振り返って述べさせていただきます。


大自然力農法 泉里農園の
園主なおかつ筆者勝呂は、かれこれ30年近く前のことですが、 その頃は
東京で独身、アパート生活で、 電気通信関連の会社に勤めていました。 仕事は会社製品の新幹線の地震監視システムや気象庁の気象システ ム、東京の森ビル、トヨタ自動車東京本社ビル、 朝日新聞東京本社ビルなどのビル管理システムなどの修理、 メンテナンスでしたが、 そのころ日々の決まりきった仕事や生活に少しストレスもたまり、 何か変化が欲しかったのかもしれません。


そんなある時、 通勤電車内に張られている週刊誌の広告に国際ボランティアNGO のことがでていて、なぜかこれが気になり、 この週刊誌を購入します。


記事にはNGOのボランティア募集とあり、 なんか未知の世界へのチャレンジのような気分ワクワクで、 早速申し込みました。

 


NGOの担当スタッフの方にいろいろ話を聞いて、 より興味が増してその後、会社帰りや土日、 祝日などにボランティアとしてちょくちょく参加するようになりま した。


ボランティアの仕事は、海外で難民キャンプなど戦争、 災害などで生活基盤を失った人々、難民などを救うため、医療、 自動車整備士、井戸掘り技術者、通訳、 農業技術者など生活支援のためのプロジェクトの日本国内の支援の ボランティアの仕事になります。


具体的には、 海外の支援活動の資金集めのために東京で開くイベントの手伝いや 、事務的な仕事などです。


NGOスタッフは現地に行って支援活動をしますが、
ときどき東京本部に帰って来て現地の様子を伝えてくれるので、 それがとても新鮮で興味津々だった気がします。

 


1年ほど通うようになると、 だんだんと国際ボランティアNGOスタッフの仕事に興味が出てき て、電気通信の仕事と比べて自分にとってどうなのか? 天秤にかけるようになってしまいました。


やがて転職を考えるようになり、 ついに電気通信関連の会社を退職してしまいます。そしてすぐに、 NGOのプロジェクトの1つ、 農業スタッフになるための行動を開始します。


農業支援プロジェクトのスタッフをなぜ選んだのか?というと、
他のプロジェクトの医師、自動車整備士、通訳、 井戸掘り技術者は、免許、 一定以上のキャリアが必要で自分はそれがなかったこと、 しかし農業には免許がないので入りやすく、 自分にできそうなことはこれしかない、 キャリアを少し積めばスタッフになれると考えました。


とはいえ実家は農家でないので(両親は教師でした) 農業はまったくのど素人。
とにかく、何はさておき農業の現場体験をしなければと、 長野県の高原野菜の大生産地に住み込みアルバイトで行くことにな ります。


初めての農業体験、初めての長野での仕事。 これまでスーツネクタイで地下鉄の満員電車に揺られて通勤し、 地方への出張もありましたが、 東京山手線内のオフィスビルでの仕事が多かったので、 まったくの異次元の世界に正直、 戸惑わなかったはずがありません。 これで本当によかったのだろうか?と不安がよぎったはずです。


しかし、もう後戻りはできなかったし、背水の陣、 前へ進むしかないし、とにかくチャレンジ!しかなかったのです。


でも、もともと自然が好きだったし、 東京にはない長野の大自然と共に仕事をすることに大きな違和感は なく、というか新しいことにチャレンジするワクワク感、 長野の大自然の素晴らしさ、清々しさ方のが勝り、 すぐに農業の仕事に打ち込めました。

 


ところが、しばらく実際に働いてみると!想定外というか、 考えてもみなかったことが行われていました。


その地域全体は、 先進技術の大量生産農業が行われていたのですが、 黒ビニールを大量に畑全面に覆い被せ、 これは1作から2作ですぐに使えなくなるので畑の角で燃やし、 ダイオキシンなど有害物質を撒き散らし、 それがもたらす自然破壊と、 そこらじゅうの農家が大型トラクターで除草剤、殺虫剤、 殺菌剤などいろんな農薬をばらまき、化学肥料をふんだんに使い、 自分たちは食べようともしない野菜を作り、 お金を得るためには消費者の健康などはほとんど考えず、 収入第一で野菜を栽培していることの不条理さを初めて体感します 。


(これは農家が率先してやっているのではなく、 虫食いの野菜はJA農協のチェックでランクが下げられ、 当然引き取り価格がかなり安くされるからで、 そうならないようにJAの指導の元に薬剤を使うのです。
これは、JAの先には流通業者、 そして末端の消費者も虫食い野菜を求めないという事実からやむ終 えず、そうせざるおえない、というのが根底にあり、 それは後々知ります。)

 


まったくの想定外の現実に直面し、
それがあまりに衝撃的でカルチャーショックで、そのせいか? 現地で大風邪ひいて一週間近く寝込んでしまいます。
(これ以来、 スーパーや飲食店の高原野菜などを買えなくなりました。)


この考えもしなかった日本農業の現実状況を体験したことから、 NGOで海外の貧しい人々を救う仕事はとても大事だけれど、 その前に日本の農業がこんな状況なら、この先、ふるさと日本、 日本人がヤバイかも?と考えるようになりました。


そして、そこから自然や人を壊さない農業、すなわち自然農法、 有機農法への探求が始まりました。

 


3〜4ヶ月の長野での農業の現場体験を終えてから東京に戻り、 すぐに自然農法、有機農法の探求に入りました。 神田の本屋に通い、書籍を読みあさり、 その後全国数ヶ所の有機農法の農園で研修を開始します。( 自然農法は研修したくとも、当時、 研修できる農場はほぼありませんでした。)


自然農法、有機農法の探求、 研修の過程でだんだんと一朝一夕の少しのキャリアでは通用しない 農業の奥深さを知り、有機農法より自然農法への興味が増し、 研修で東京から離れることも多くなりました。


そうなると東京のNGO団体へもだんだん通えなくなり、 自然とNGOからも離れていきました。 そして気が付いたら自然農法の魅力に引かれ、 その探求一筋となっていました。


全国数ヶ所の有機農法の農園で2年近く研修し、最後の研修先、 三重県伊賀市では地元の人との親交から、 農地を借りることができ、 そこで自然農法の農園として独立就農します。


独立当初は、研修したとはいえ栽培技術、 経験はまだまだまったく乏しく、 ろくに売り物になるような農作物ができず、 これでは生計が成り立たないので、 早朝は豆腐屋さんでアルバイト、昼間に農業、 夜はスーパーで夜間アルバイトという兼業パターンでやりくりして おりました。


ここ伊賀で5年以上、兼業農家でやってきましたが、 借りていた地主さんがご高齢(その時たしか93才)で亡くなり、 その息子さんの代となり、借りていた畑を売りたいので、 買わなければ、出ていって欲しいということになり、 資金力があったわけでなく、それを静岡県の実家の親に伝えたら、 実家近くの農地をいろいろ探してくれて、 運良く良い農地がみつかり、それで伊賀を去り、 実家から通える農地で再スタートします。

 


伊賀のときの農園名は、希望!豊かな山、川、海、里、 人農場というながったらしい名前でしたが、
実家で再スタートするときに、泉里やさい園と改名します。


実家から通える農地なので、両親もとても協力してくれて、 農作業もいろいろ手伝ってくれたり、おかげでだんだんと生産量、 売り先も増えて、栽培技術も上がり、 アルバイトしなくても専業で十分やれるようになりました。


このころからは、 自然農法の本に書いてあるとおりにするだけでなく、 自然農法を基盤とする独自の自然農法を本格的に探求、 構築するようになります。


ところが実家に帰り15年ほどたった頃、状況が一変します。 それは、借りていた農地の地主さんの代替わりがあり、 その長男の物となりますが、 これが転機で一変に風向きが変わります。


新しい地主さんは、雑草を大変嫌い、 当園が借りている畑に断り無く入って除草剤を撒くようになり、 育てている作物にもすれすれに撒いて、 撒かないで欲しいというと余計に腹がたったのかよりひどくなって 、ついに
「うちは無農薬の農業なので、 借りている畑にまで除草剤を撒かれたのでは、 無農薬の農業が成り立たなくなる。 これからも借りている畑に除草剤を撒かれるのなら畑を返すしかな くなる」というと、


「返してくれると助かる、 あんたみたいな農業は周りの迷惑で山の奥でやるしかない」
というようなやり取りでしたが、 ここから人生ががらっと変わります。


地主さんに「畑を返してくれると助かる」 なんて言われたらもう他に選択肢はありません。


ただ、この農地は農業委員会という公的期間が間に入っていて、 5年契約を結んでいたので、すぐに返さなくてもよかったのです。 契約終了まであと1年半ほどありましたので、 この間に代わりの農地を探せばよかったのです。


しかし、思い通りにはいきませんでした。 実家から通える近くの農地をさがしていたのですが、 いい農地がみつかりません。


残念だったのが、 無農薬で農業やっているというと雑草の種や虫が飛んでくると思わ れ、敬遠されて借りることが困難になるということです。


地主さんだけでなく、 世間では無農薬の農業に対しての風当たりが、 以外にかなり厳しいということを実感しました。

 


結局、 実家近くの新しい農地がみつからないまま契約期限まであと半年と 迫ってきました。 最終期限でもある次の年の春の種まき期までに新しい畑に種まきで きるようになんとしなければ! と少し焦り気味になってきましたが、 希望の農地がみつかりません。 まさに土壇場の状況となってしまいました。


そしてついに、 これだけ探しても実家から通える農地がみつからないのであれば、 もはや無理、近場に農地は存在しない、という結論に至り、 やむ終えず実家から離れた畑を探すことになります。

 


契約終了の春3月まであと5ヶ月となった頃、 山梨県南部町の農業委員会さんから農地ありますよ。 という返事をいただき、すぐに山梨へ。 そこは希望していたまとまった広い農地で、 荒れていましたが元は柿畑。 ほったらかし状況でも柿は結構成っていました。 果樹もやりたかったので農地的に申し分ありませんでした。

 


他の候補農地はなく、即決でした。
実家から山梨の農地まで高速使って1時間あまりですが、 通いはもはや困難となりました。


そして、その元柿畑だけでは野菜を作るスペースが少なく、 他に新たに南部町と隣接する富士宮市の畑を借りることができ、 全部で1ha(3300坪)を超える栽培面積となりました。 農園名も果樹も栽培するので、 泉里やさい園から泉里農園に改名して新たなスタートとなりました 。

 


新転地では、実家からの通いは無理となり、 富士宮市に姉が経営するアパートに入居することになります。 それからは、山梨、 富士宮で1人で何もかもやらなければならなくなって、 農産物の生産、売り上げは実家にいたときと比べ、 ほぼ半減しました。


荒地の開墾からスタートしましたので、畑ができていないこと、 売り先を新規に開拓しなければならなくなりそれに苦労したことも 大きいでしょう。


こんなとき、ここからまた試練が続きます。 これまで実家近くの返した畑でよく手伝ってくれていた父がまもな く他界し、翌年には母までも。


この世で唯一、 最高の味方だった両親をいっぺんに失くしてしまい、 人生に穴があいてしまったようで、途方にくれてしまいます。 自然農法をやる気もほとんど薄れてしまいました。 しばらくの間はそんな状況でした。


でも、 ここで農業をやめたらきっと応援してくれていた両親は悲しみ、 反対するにちがいない。 そして十数年来の農園のお客様もいらっしゃいます。なので、 今やめることはできない。


両親のためにも、より自然農法に磨きをかけるべきと、 これまで構築してきた独自の自然農法を『大自然力農法』 と命名し、これを皆様に公表させていただいた次第です。

 

 


大自然力農法、泉里農園としては今年(2019年) で5年となりましたが、自然農業は非常に奥が深く、 農業のキャリアは30年近くなってもまだまだ勉強です。


なので、 これからも大自然力農法をできる限り探求してゆくつもりです。
これまで多くの失敗を経て、 大自然力農法はまだまだ不十分とはいえ、 微力ながらも育って参りました。


大自然力農法、その基本、根本的な追究点は、 自然をできるだけ壊さない農業。自然に感謝し、敬い、学び、 自然に人にやさしい農業。人々の健康に大変良く、 しかも美味しく、 人々が喜んでくれる感動的な作物をできる限り多く生産提供できる 永続可能な農業です。


これを追究し、大自然力農法が、より進化、 成長するためにこれからも日々の研鑽を重ねて参ります。
そしてやがて日本や世界の人々のためになり、 NGOの海外援助の農業にも役立つような農法になれたら幸いです 。
                                                           (完)

 

*『大自然力農法とは』の連載は3年前から始まり今回( その33)で完結終了となります。長期間の連載でしたが、
ありがとうございました(^.^)ノ


来年からは新しいコーナーを開設する予定です。

 

 

 

 

 


泉里農園だより 12月29日号(毎月最低1回発行)
(編集、発行)泉里農園


(農園所在地)静岡県富士宮市山梨県南巨摩郡南部町


(メールアドレス)
izumisatoyasaien@gmail.com